【ゆっくり解説】 斉 桓公 春秋最初の覇者 彼は果たして名君といえるのだろうか 【春秋戦国】

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  • Опубликовано: 10 сен 2024
  • 大宰相管仲を用い、斉を天下第一の覇権国に築き上げた斉の桓公を紹介します。
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Комментарии • 250

  • @ss-eo9yk
    @ss-eo9yk 2 года назад +66

    ここまで人の意見を聞き入れられるのは才能。少なくとも暗君ではない。名君よりだと思う。

  • @21121293dora
    @21121293dora 2 года назад +43

    管仲を用いる度量があっただけでも十分名君 生きてる内は国も安定していたし

    • @matukawatositane
      @matukawatositane 2 года назад +10

      実際人を見る目はありましたよね

  • @茶聖
    @茶聖 2 года назад +70

    言われた事を素直に実行できることは並大抵の人はできない。
    その点で桓公は名君といってもいいですし、最高の演出家 管仲と最高の役者 桓公の水魚の交わりが合ってこそ斉は覇たらしめることが出来たのですから桓公を非凡の人物と称えても良いでしょう。

  • @user-iy6sh7wh1w
    @user-iy6sh7wh1w 2 года назад +47

    人材マニアで人材抜擢に腐心してんのに管仲があまりにもレジェンドすぎて他の臣下の評価ろくにできんのが本当に面白い君主だ。30年以上も臣下の忠言に耳傾けられるのは並大抵の人物ではないので、その統治期間込みで名君でいいと思う。(唐の玄宗を思い浮かべながら)

  • @user-um7xt4kg6u
    @user-um7xt4kg6u 2 года назад +11

    人の言うこと聞くのも結構大変なので。言う通り従うこと自体もさることながら、何よりも誰の言うことに従うかは明らかに本人の選択なので。名君です。

  • @hase0615
    @hase0615 2 года назад +20

    日本的な基準で言うと、桓公は名君だと思います。
    名臣を登用して一任し、あまり出しゃばらず、「良きにはからえ」が基本方針というのが江戸時代の名君と呼ばれる殿様の姿ですから。

  • @user-ye1un6yu6m
    @user-ye1un6yu6m 2 года назад +36

    自分の命を狙った者を許す桓公も大人物だが、下手をしたら自分の身を滅ぼすかもしれないのに、友人である管仲を桓公に推挙した鮑叔牙は聖人だと思う。
    普通は友人でもライバルになるかもしれない人物だと消すだろうし・・・ (孫臏…)
    友達たくさんいなくてもいいから、鮑叔牙のようにピンチの時に体張って助けてくれる親友一人だけでもほしいね

  • @t.c.8374
    @t.c.8374 2 года назад +13

    野生の郭隗というパワーワードwww
    …こうして見ると、桓公は横山光輝先生の"項羽と劉邦"の劉邦の様な、人の意見に耳を傾けて素直に従うという地味だがとてつもない長所を持つ人物なのかもしれませんね…

  • @ravilsan1987
    @ravilsan1987 2 года назад +28

    この時代に太公望がやたら神格化されたのも、その子孫であることで覇者たる正統性を宣伝するためとかいう説をどこかで聞いた気がする

  • @user-ie9jn5cr8s
    @user-ie9jn5cr8s 2 года назад +20

    管仲も名声高まれば高まるほど讒言もあっただろうに、用い続けた桓公は名君だよ。
    しかし管仲は今でも通じる経済観もってるよね。孔明さんも今は日本でパリピって活躍されておられるので、ここは是非管仲さんも桓公以上に増税が好きそうな家系の総理の補佐役として転生して頂いて…

  • @air5042
    @air5042 2 года назад +10

    名君暗君の二者択一で考える君主ではないと思います。
    凡庸ではありながら、一度任せたことは最後まで信じて任せるという能力が著しく際立っていた人物。その美点が他の欠点をも飲み込んでしまうほどだったのでしょうね。

  • @user-sc4xv1gz1e
    @user-sc4xv1gz1e 2 года назад +16

    本人に才覚が乏してくても治世の間、人民が平和で豊かに暮らしているなら名君だと思う。
    それにしても『管鮑の交わり』って昔から何か妖しい言葉の響きだなぁと思っていたけど、他の人もそう思っていたことに安心した。

  • @user-np2qk4mu1p
    @user-np2qk4mu1p 2 года назад +12

    名君で良いと思う。
    仮に彼の寿命が管仲より短ければ間違いなく名君と呼ばれただろうし、
    管仲を抜擢し、彼の意見に従う器量を持っていたことが名君として認められるのでは?
    最期にケチがついてしまったものの、
    斉の一時代を築いたことは認めてあげても良いと思います。
    いずれにせよ、やはり「名君は、名君たり得る家臣と環境が整っていたから」だと私は思います。

  • @hontounosorairo
    @hontounosorairo 2 года назад +15

    幕末の長州藩で「そうせい候」と呼ばれた毛利敬親。凡庸な藩主だとの評価で「幕末の四賢候」からは外されているが、実際は斉の桓公のような人物だったと思う。
    人材育成に尽力し、臣下の意見を積極的に取り入れ、藩が財政難に苦しむ中で自らも質素に努めて領民の信頼を得たなど、桓公にも通じるエピソードが残っている。

    • @user-rx9fu8ot9i
      @user-rx9fu8ot9i 2 года назад +6

      そうせい候の場合はそういっとかないと殺されてたと後に述懐してますね…

    • @kenjih1408
      @kenjih1408 2 года назад +4

      長州の内ゲバ・テロは凄まじく、上級武士階層の暗殺率が異常な高さですからね。
      あの藩は過激な人材が多いというより、穏健派はみんな殺されてしまい生き残るには沈黙する他はなかった。

  • @KGG03226
    @KGG03226 2 года назад +17

    25:03 節度あるインフレが好景気につながるという
    とても分かりやすい富国論

    • @user-xk8wf5od7g
      @user-xk8wf5od7g 2 года назад +1

      ゆるやかなインフレは国を豊かにするというけれども、そんな不均衡点がいつもいつも来るわけもなく……

  • @dekamega999
    @dekamega999 2 года назад +22

    経済や税制をシステムとして理解、調整しようとしていた管仲の現代的なセンスに驚くなぁ

  • @ksd6095
    @ksd6095 2 года назад +10

    有能な家臣の諫言を聞き入れ、必要な段取り・手配を求められればしっかり応じる…言うは易しですが、これが出来なくて滅んだ国が多いことを考えると名君なんじゃないかと。ただやはり個人で為したものではなく賢臣達あってのものだなぁとも感じるので管仲という名プロデューサーがいたからこその「名君 桓公」という偶像なのかもなぁと

  • @user-oi5dt9tt8d
    @user-oi5dt9tt8d 2 года назад +8

    鮑叔牙、管仲の意見を容れる度量のあった頃は名君、三佞臣を呼び戻した最晩年は暗君と思う。ただ、管仲の存命中に赤ん坊の蒸し焼きが食いたいと言い、易牙が我が子を煮殺して出したりしているので、こういう所も人として並以下と言わざるを得ない。

  • @alaindelon2099
    @alaindelon2099 2 года назад +29

    やっぱり中華の歴史は宮廷内の人間関係がもろ天下にまで広く影響していく感じがする。桓公も管仲も臨機応変に機転が利く方々なんだなと。それにしても曲者揃いのゆっくり歴史解説主の中でも最も丁寧で史料にしっかり基づいている感じがするから更に説得力が増すし安定感がある。

  • @user-mz4sy9vh1j
    @user-mz4sy9vh1j 2 года назад +13

    鳥人間先生のお陰で興味の無かった、始皇帝以前の中華史も中々面白いと思えました🙇
    恒公は平凡なる非凡と思います🙇、臣下の助言を良く聞いて任せる大抵の君主はそれで良いかと(笑)、曹操や李世民の様な自身の能力も高いのに、有能な人材に任せる事も出来る人は歴史上稀有な存在ですからね🙇

  • @NobuhitoMiyagawa
    @NobuhitoMiyagawa 2 года назад +22

    晏嬰と景公 の関係も好き。
    田斉の威王ぐらいしか斉の名君?覇者?を思いつかない。

  • @user-vc6ps5tg1d
    @user-vc6ps5tg1d 2 года назад +47

    自分の命を奪いかけた管仲を鮑叔の進言に従って許し、最後まで信任し続けるというのは凄いのですが、臣下の質に左右されまくるあたり劉禅っぽさも感じます。

    • @user-nb4vy2xt5r
      @user-nb4vy2xt5r 2 года назад +9

      劉邦ぽいかな、とも思った。

    • @user-gv7qp3mn3k
      @user-gv7qp3mn3k 2 года назад +6

      前半生は名君だが後半生は暗君になってしまったという点は唐の玄宗と似ている

    • @coldexp7189
      @coldexp7189 2 года назад +10

      私も斉の桓公については、名臣の死後数年で自身もなくなったので馬脚を現す事が無かった劉禅って感じかな。

    • @yuten1992
      @yuten1992 2 года назад +8

      @@user-nb4vy2xt5r 劉邦はあれでかわいいヤツ。政治的才能や軍事的才能はビミョーだけど、野心もあり主体性もあってかわいげもあるから周りが放っておかない。

    • @ScandalEau
      @ScandalEau 2 года назад +12

      同感です
      諸葛亮の死後、2年で劉禅が崩御されることになっていれば暗君と呼ばれることはなかったのかなとも思います

  • @madaisama9354
    @madaisama9354 2 года назад +23

    解説を聞く限り、桓公は劉禅に近いタイプじゃなかろうか。側近が優秀だったので長持ちしたあたりも似ている

    • @kenjih1408
      @kenjih1408 2 года назад +5

      春秋時代随一の実績を誇る桓公と、何一つ実績のない劉禅。
      丸いから、すっぽんは月に似ているというならまだしも、月がスッポンに似ているというのはさすがに例え方が逆w
      草野球のエースで4番を大谷に似たタイプだとおだてることはあっても、大谷を草野球のそれと似たタイプとはいいません。

  • @Kansai0907
    @Kansai0907 2 года назад +9

    斉の桓公はちょっと劉邦や始皇帝に似てますね。若い頃は大賢臣である管仲の賢策を大いに用い、諫言に耳を傾け、ほとんど判断を間違えませんでしたが、最晩年は始皇帝は不老不死の道を求め、高祖劉邦は洪武帝ほどではありませんが、猜疑心が強くなり青年期から壮年期の輝きは色褪せました。(漢の武帝や劉備、孫権もそうですが) 桓公は管仲亡き後は巧言令色の輩を近づけてしまって・・・ まあ晩年の大減点はありましたが、春秋の伍覇を代表する大器であったと思いました。高い地位にある者程自戒して自分の行為に細心の注意を払って行動しなければいけませんね。虎は死して皮を残し、人は死して名を遺すの格言が心に刺さります。

  • @user-vv1jy8nf9u
    @user-vv1jy8nf9u 2 года назад +19

    劉邦とかと同じようにきちんと人のこと聞くから名君なのでは、失点らしいところもないし、覇者になってからも部下に猜疑心抱かないとこも素晴らしい

  • @ansorgii
    @ansorgii 2 года назад +7

    有能な家臣の話を聞き、それに従うというのはやろうと思ってもなかなか出来ることではない。
    それができた時点で名君だったと考えて良いと思います。

    • @basilbasilicum
      @basilbasilicum 2 года назад +5

      命を狙われたこともあるのに管仲を用いた度量は凄いですよね。

  • @hakui4313
    @hakui4313 2 года назад +17

    22:29
    野生の郭隗(笑)

    • @hakui4313
      @hakui4313 2 года назад +2

      もし桓公に仕えたのが管仲ではなく晏嬰だったらどうなったのか考えると面白そうですね。

  • @user-gx7cr2rh4b
    @user-gx7cr2rh4b 2 года назад +10

    リメイクとおさらい回ですね、何度見ても良いものです

  • @user-xq1di2jx1p
    @user-xq1di2jx1p 2 года назад +14

    桓公は臣下の意見をしっかり聞いて言動を改めるところが長所かぁ…補佐役にめぐまれなかったらただの阿保として伝わっていたかもしれない…

  • @user-ml9lk1zg6t
    @user-ml9lk1zg6t 2 года назад +21

    逆に問いたい。
    これだけ管仲の能力を引き出せる君主がどこにいるのかと。

  • @user-no4tx2nn4c
    @user-no4tx2nn4c 2 года назад +7

    たまにくるメジャー回きた
    後に苻堅も王猛なしで同じようなことをやってますな
    諸葛亮なしの劉備は普通に有能ですが
    いずれにせよ劉邦が韓信や陳平を用いたように、桓公やこれらの人物もいわくつきだけど優秀な人物を重用出来る器の大きさは共通していますよね

  • @rerepopo663
    @rerepopo663 2 года назад +14

    後継者問題って今でも永遠に付き纏う人類の課題だし、こればっかりはどうにも出来ない事も・・・。
    桓公みたいに感情に身を任せず部下の意見を素直に聞ける君主と、それを支えるスーパー有能部下達みたいに
    時の運に味方される事もまさに覇者の条件かもね。

  • @user-ih8qy1pi8i
    @user-ih8qy1pi8i 2 года назад +6

    この人の話を聞いてるといつも劉邦がダブる。そして、欠点だらけなのにどうしても憎めない。魅力というか、愛嬌がある感じ。

  • @user-ie2nn5dt2f
    @user-ie2nn5dt2f 2 года назад +11

    桓公をひとことで評するなら「劉邦の上位互換」ってところだよねw
    ただ残念なことは劉邦蕭何の順で死ななかったことで残念な運命になったことだけ

  • @user-dk4nh6yr6y
    @user-dk4nh6yr6y 2 года назад +13

    斉の桓公は管仲はもちろんの事、他の臣下の進言もちゃんと聞いて、それを理解し、自分の欲望を抑えて進言通りに行動できているので、名君には間違いないと思います。もっとも、臣下の意見を聞きすぎて奸臣の意見も素直に聞いてしまうという欠点もありますが…。あと、後継者問題で盛大に失敗してますが、後継者問題は名君でも失敗する事は結構ある(清の名君康熙帝ですら後継者問題で失敗した。)し、場合によっては国を衰退に導く事もあるので、それをもって斉の桓公を暗君とするには、ちょっと材料が足りない気もしますね…。

  • @type61type74
    @type61type74 2 года назад +4

    33:15 つそれよりも恒公以後春秋時代の斉は振るわず覇者の座に戻ることが出来なかった方が深刻な問題だろう
    湣王「戦国四君の一人・孟嘗君を従え、秦の昭襄王と中華を二分すると号し、東帝を名乗ったワイがおるやん」

  • @user-hg5vj3yc1f
    @user-hg5vj3yc1f 2 года назад +9

    普通に名君でええかな、自分を殺そうとした相手を許して国政を委ねるってやっぱ凄いよ。それからも本人が死ぬまで大きな失敗はしなかったわけだし。

  • @midoren
    @midoren 2 года назад +6

    思うに君主には自力の君主と他力の君主がおり、後者は名臣を登用する眼と任せる器量があればそれで十分なのではなかろうか。名臣に先立たれ老いの迷妄に沈む君主は仕方ないし珍しくもない。故に桓公は名君であってと言って良いでしょう。こう書くと孫権を先取りしたタイプやね桓公。

  • @rerepopo663
    @rerepopo663 2 года назад +11

    桓公ってか中国史以外でも意外と歴史上の名君って、その人生の見方とか政治の分野別で見ると評価が別れる人居るよね。
    逆にどの視点どの分野から見ても、非の打ち所がない名君が珍しい。

  • @Shoggoslime
    @Shoggoslime 2 года назад +16

    どこか劉禅に似ている気がしました。孔明が長生きすれば劉禅もこんな感じの扱いだと思うのですよね。

    • @kenjih1408
      @kenjih1408 2 года назад +2

      無いと思うよ。そもそも管仲>>>>諸葛亮だし。
      エンタメ人気は別にして実績ベースで考えたら、諸葛亮は中国史上の人物ベスト100に入るかもあやしい。
      基本的には下の一行程度で概要説明は終わる人物だからね。
      三国時代の地方政権である劉蜀の先主に仕え建国に功績があったが、丞相となった後に無謀な北伐を繰り返して国力の衰退を招き、滅亡を早めた。

    • @Shoggoslime
      @Shoggoslime 2 года назад

      @@kenjih1408 似ているのは劉禅と桓公ですよ。桓公の立場に劉禅がいたら割と似たような事になりそうだと思いませんか?
      劉禅も孔明の進言・諫言は素直に受け入れていますし、全面的に信用し任せています。なんというか部下によって良くも悪くもなりそうな辺りと妙な人の良さが似ていると思います。
      >>丞相となった後に無謀な北伐を繰り返して国力の衰退を招き、滅亡を早めた。
      私もしばらく前までそう思っていたのですが、下記の動画などを見てから別のベクトルでやっぱり孔明って凄い人物だったのでは?と思っています。
      ruclips.net/video/M1xzZGZTEbw/видео.html

  • @sutesute2790
    @sutesute2790 2 года назад +10

    管仲と桓公や秦の昭公と范雎みたいな関係性に憧れる

  • @user-od6ku3zz3e
    @user-od6ku3zz3e 2 года назад +16

    桓公が基本プランを立ち上げ、それを管仲が手直して最後にまた桓公が採用する。
    理想的なコンビだったんじゃないですか?
    逆に言えば、2人の内どちらかが欠けても破綻してしまうのでしょう。
    桓公&管仲、「ふたりはプリキュア」だったのです笑。
    ・桓公→キュアブラック
    ・管仲→キュアホワイト

    • @user-bm8ci1vy5f
      @user-bm8ci1vy5f 2 года назад +2

      自分は何となく苻堅&王猛に少し似てるなと思いました
      異論は認める

    • @user-od6ku3zz3e
      @user-od6ku3zz3e 2 года назад +2

      @@user-bm8ci1vy5f お笑い芸人も、コンビ組んでた時代は超面白くても、解散してピン芸人になったら、全く面白くなくて売れなくなった、みたいな話ありますしね。4人ともピンでは能力を発揮出来なかったのでしょう。

  • @Udoneko
    @Udoneko 2 года назад +6

    1:22 西周(知識人)「ワシ・ワシ・ワシ・ワシ・ワシ・ワシ。6人いてもまたボッチ。そろそろ馳星周君や畠世周君を呼んでくれ」
    閑話休題。本当の暗君なら管仲を排除してるでしょう。唐の玄宗や前秦の符堅みたいに名君から転落してしまったまでとは言えませんし、後継者争いを招き死後悲惨な面はありますが、覇者の地位まで登ったことを考えれば名君と認めていいと思います。ただし名君番付を作れば下の方でしょう。

  • @user-vv8gq3tg5f
    @user-vv8gq3tg5f 2 года назад +8

    名君なんじゃないかなぁ
    桓公あるところに菅仲あり。逆もまた然りって感じでこの二人はセットで考えるのが一番しっくりくる

  • @user-cj8kl6dd4q
    @user-cj8kl6dd4q 2 года назад +10

    幕末の長州藩の殿様だった毛利敬親になんとなく似てるね。優秀な部下のおかげで天下人になれたあたりが。
    優秀な部下の言うことをちゃんと聞けた時点で有能だと思うな。

  • @user-br5ln8wu5w
    @user-br5ln8wu5w 2 года назад +9

    まぁ互いに補完し合うことで初めて絶大なパワーを発揮するタイプの君臣関係だろうなぁ
    もし桓公が先に没していたら、管仲の方が碌な最期を遂げなかっただろう

  • @KOKI0901
    @KOKI0901 2 года назад +10

    「西周」が「にしあまね」になっててわろたwwwww

  • @otp1124
    @otp1124 2 года назад +4

    君主といえど、人間であり人一人が抱ける才能はいつの時代でも限られていることのほうが多いのだから、有能な忠臣に政務を与え国全ての事業を見据える座に座り続けた桓公は名君だろう

  • @user-gp4uy4ng7l
    @user-gp4uy4ng7l 2 года назад +9

    桓公の課税の話を悉く諌めてきた管仲の説は、今の日本にも刺さると思います(いや、むしろランス・チャージの如く)。
    ただ、桓公も管仲に諌められてきたことが多かったので、抑圧されてきた感情があったのだと思います。
    しかし、斉の君主競走で管仲の放った矢が小白(桓公)と仕留めていたら、また、魯との戦の後で管仲を処していたら、と考えるとすごいバランスが働いているんだなぁって。

  • @user-fc1bg5tj4g
    @user-fc1bg5tj4g 2 года назад +5

    ・桓公は、不運を最小の被害でかわし、幸運を最大限生かせる、運に恵まれていた。
    ・桓公の本質は、道理に従う善人だった。
    だから鮑叔牙は管仲を推挙したし、管仲はその善人ぶりを極大化させる事が出来た。
    その結果、桓公を殺そうとするほど憎む人は少なかったし、彼を殺しても自分が悪人として殺されてしまう未来しか見えなかったから、力有る者や野望有る者は、誰も彼を殺そうとは思わなかった。
    豊かになって蓄えられた富を奪おうとする国、強くなって始末に負えなくなる前に潰してしまおうとする国も出てこなかった。
    斉に降りかかる望まぬ争いや戦争は避けて通るようになり、自分の有利になる争いや戦争を吟味して介入できる余裕が出来た。
    そして、腰を据えて斉の国を豊かにし、強兵を育てる時間を手にいれられた。
    ・桓公も管仲も長生きだった。
    その結果、統一した政策を、長期にわたり安定して行えた。
    ほとんどの王侯が君主として力を振るえる期間は10年ほど、
    また、賢君が2代続くなんて希、
    しかも、大概の場合後継者争いの混乱で先代の功績なんて消え去ってしまう。
    長生きをするだけで国のためになる可能性が高く、凡庸な統治をしたとしても四代にわたり賢君が出たのと同じ効果があった。
    ましてや、春秋戦国時代でも指折りの名宰相管仲に政治を任せ、それが長く続いたのだから周辺国に対して圧倒的なアドバンテージを築けたのは当然のことと思う。
    勢いによって事を成就し、機微に乗じてより良い成果を生むと言うが、王侯の代替わりや宰相の入れ替えは、勢いを断ち切り、機微を見るゆとりを失わせる事が多い。
    それが、多くの血を見ることになったりしたら、先代の否定で有ったり、より大きな進展を求めたりと、兎に角変えてしまおうとする流れになってしまいやすい。
    斉の国が桓公以降落ちぶれていったのは、その後の争いで傷付いたほかに、後継者が管仲の実績を超える事ばかりに意識がいった新たな政策を打ち出すも、短期間であれはダメだと引きずり下ろす画策が行われた結果だと思う。
    中国の古典とはゼンゼン関係無いのだが、今の日本って管仲に否定された、金が足りなきゃ増税という桓公の考え方を、財務省の官僚はやっているように思う。
    財源が必要だと消費税を増税し、揮発油税など短期の特別税率をそのまま常時の税率とし、医療費などの負担額を2倍3倍にし、年金の額を抑えたまま受け取り時期を5年後ろずらしらしにし、控除や減額の制度を無くして行き・・・
    負担の増加が見えにくい様にすれば、国民は今まで通りに消費してくれて、経済は回っていくとタカをくくっている。
    「文句があるなら、まずは財源を示してからにしろ。出来ないなら黙ってろ。」って
    お前たち、桓公より頭悪いぞ!と言いたい。
    歴代の事務次官は過ちをしない。
    つまり、過ちを犯しても自らの責任と感じず、継承だけの官僚機構は、王や宰相は最後まで過ちを認めない上、代われば最初に戻るに落ち入った斉の国とたいして変わらんような気がする。

  • @shinpeikitajima7115
    @shinpeikitajima7115 2 года назад +4

    斉の桓公は競馬で例えたら名馬ではなくて、癖馬を巧みに乗りこなす名ジョッキーだった。
    モータースポーツで例えたら優れたマシンを開発する名コンストラクターではなくて、運転が難しいが高性能のマシンを乗りこなす名ドライバーだった。

  • @user-hn4uj4vc8i
    @user-hn4uj4vc8i 2 года назад +7

    野生の郭隗クッソ笑いました🤣
    だけどそんな田舎のおやじの提言を受け入れる度量も桓公にはあったんですね。

    • @basilbasilicum
      @basilbasilicum 2 года назад +1

      隗より始めよ(鳥さんの動画で知った諺)を思い浮かべたところにこの台詞で爆笑しました。

    • @kenjih1408
      @kenjih1408 2 года назад +1

      時代的にみると、郭隗の方が田舎おやじの丸パクリw
      というか郭隗がこの話を知っていた可能性があるね。

  • @能手聖利
    @能手聖利 2 года назад +12

    部下が働き易い環境を整えることができるのも、名君の資質じゃないかな。

  • @chip1259
    @chip1259 2 года назад +6

    春秋五覇も戦国四君も主君や親分より有能な臣下や食客の魅力や功績による部分が大きいよね🤗
    あまり使いこなせて無い人が大半な気もするし😮‍💨

  • @PORTABLE1217
    @PORTABLE1217 2 года назад +24

    野生の郭隗は流石に草生える

  • @ddrible9350
    @ddrible9350 2 года назад +8

    五胡十六国のシリアルキラー君主たちを見た後だと全然名君

  • @mastsu379
    @mastsu379 2 года назад +7

    君主の一番重要な仕事は有為の士を登用すること。それができれば国は保てる。そういう意味で桓公は紛れもなく名君でしょう。

  • @user-qz3go1ft3p
    @user-qz3go1ft3p 2 года назад +2

    覇者の話が良いのは、
    面白い逸話が簡潔に並び
    当時の人が良しとした考え方が
    解るところ、理ことわりを伝えようとする先人の熱意にうたれて歴史の壮大な景色を垣間見えるところ。帝王学としても色々と考えさせてくれる菅公は充分名君だと思います。結果として
    名臣を活かし長く秩序を維持出来たのは素晴らしい。水呑み百姓を祖とするワイは大規模な混乱や戦争が無い治世を評価。

    • @basilbasilicum
      @basilbasilicum 2 года назад +2

      糾が死亡したときに殉じなかったのが仁義に反するという逸話が当時の価値観が見て取れてなるほどと思いました。
      穆公の死の際に有能臣下が殉死したことを残念に思いましたがそういうものなのか…と切なくなりました。
      愚か者の谷のエピソードもそこに繋がるんかい!と面白かったです。

  • @user-rk4pn2ns7t
    @user-rk4pn2ns7t 2 года назад +5

    管仲を用いたことは大きな功績でしたが、最期の死に様がねぇ〜。やはり管仲ありきの人だったのかな?という気がしてなりません。春秋の五覇の中では孔子がわざわざ会いに行ったが亡くなってしまい、対面を果たせなかった楚の昭王が一番有能だったというのが自分の見解です。

  • @74draken74
    @74draken74 2 года назад +6

    今日一のパワーワード
    「野生の郭隗」
    腹痛い🤣

  • @user-mx6ji6np6l
    @user-mx6ji6np6l 2 года назад +3

    君主というのも不思議なもんで能力が高ければ名君になるというものでもない。そりゃ、なんでもひとりでこなせるわけがないから当然臣下というものが重要で、となると必要不可欠なのは人物眼と選んだ臣下を信任する度量ということになる。
    我が国にも「そうせい侯」という不思議な名君がいたことだし。

  • @kotokoto_764
    @kotokoto_764 Год назад +2

    人の忠告を素直に聴くのは本当にすごいことなので桓公は名君だと思います。あと桓公の晩年の暗君ムーブは桓公が三男で誰にも期待されずに育てられてた(しかも母親の実家もあてにならない)からちょっと見栄を張りたくなったり阿ってチヤホヤしてくる奴に良い顔したくなってしまう性分が出てのことかもしれないですね。私はそこに人間味を感じてます。

  • @piyolinsky278
    @piyolinsky278 2 года назад +4

    22:46のあたり、なるほど!とか言いながら冷遇するんか、この、サイコパス!と思って画面見たら礼遇だった

  • @reizoukoreizouko
    @reizoukoreizouko 2 года назад +3

    だいたいなんでも管仲のおかげは笑っちまう。正しいし。

  • @user-xk8wf5od7g
    @user-xk8wf5od7g 2 года назад +4

    なんでもかんでも1人でやろうとする君主も、1人では何もできない君主も未熟だけど、結局のところ斉の桓公と管仲の馬が合ったから名君として語り継がれることになったという結果論だと思う

  • @user-lz6cs6ik1x
    @user-lz6cs6ik1x 2 года назад +4

    小白には鮑叔牙が仕えていた。
    その鮑叔牙が推挙した管仲を用いた。
    この一点において桓公は名君と言える。

  • @user-dc9th3nz2b
    @user-dc9th3nz2b 2 года назад +5

    やはりこの御仁は評価が難しい。
    賢臣・管仲の言うことを「聴く」ことは出来ていたわけですが、晩節をよくしたとも言えませんし……。
    最後の霊夢評は、まっこと当を得ていると首肯するしかありません。

  • @user-hr5km4wz9h
    @user-hr5km4wz9h 2 года назад +5

    孔子様は名君と言われれば誰か? と言われ、「やむなくんば衛の霊公か」強いていえば衛の霊公でしょうな、とおっしゃった。すると、質問した人がびっくりして霊公といえば女にだらしない人物として有名だ! と言ったが、孔子様は「わたしは名君は誰ぞと聞かれたから答えたのです。霊公は家臣によく仕事を任せて治国の功をあげておられます。下半身の問題で答えたのではない」と平然とおっしゃったとか。

  • @user-qz3go1ft3p
    @user-qz3go1ft3p 2 года назад +1

    見ながら考えるのが楽しいので
    やはりこれぐらい長いのは
    見た気がして良いな。10分ぐらいのを聞き流してわかった気になってもオサーンの頭には定着し難い。何気に昨日春秋の名臣ベスト10を見直してたので特に今回は楽しく見ますた。感謝

  • @user-nb4vy2xt5r
    @user-nb4vy2xt5r 2 года назад +5

    昨年アドベンチャーワールドに行ったが、7頭も聖獣がいたので封禅の儀をそこで行えば良かった。

  • @99km15
    @99km15 2 года назад +6

    桓公と管仲ときましたらきっと景公と晏嬰の解説も来るのではないかと
    動画いつまでもお待ちしております
    ※桓公は景公と比べたら確実に名君…二人の共通点は名宰相の意見に素直に従う&無暗に人を殺さないでしょうか

  • @user-kg3tr3ms8c
    @user-kg3tr3ms8c 2 года назад +3

    最終的に君主とは、臣下の善言を「聴く」事と「許す」事に尽きるということですね。
    死後の事はさておいても、生前は正しく「名君」であったのは間違いないと思います。😀
    また、斉は公族に頼らない体制だったのも、早くから国を強くする政策がとれた一因の様な気がします。(隣の魯なんかと比べるとね)

  • @thor0610102
    @thor0610102 2 года назад +3

    ありがとうございます!

    • @c-history
      @c-history  2 года назад

      ご支援ありがとうございます!!!!!
      有り難し……まことに有り難きことにございます!!!!!

  • @shion-akechi
    @shion-akechi 2 года назад +6

    斉の桓公「うひょっ! 悪魔の缶詰め♪」
    管仲「どこかのゲームにそんなアイテムがありましたね」
    桓公「中身は何かな…? ベリアルとか、ベルゼブブとか?」
    管仲「…(こりゃ、いかにもヤバそうな展開だな)…」
    (ギコギコ…カパッ!)
    桓公「何だ、人間じゃないか」
    管仲「そりゃあそうでしょう。なぜなら人間以上の悪魔はこの世におりませんから」

  • @blackstone5169
    @blackstone5169 9 месяцев назад +1

    すっごく劉禅に近しいものを感じる…。優秀な臣下と、時代によっては輝きを増す人物なのだろうか。

  • @treasure9262
    @treasure9262 2 года назад +4

    桓公は強運の持ち主なので名君だと思います!当時の風俗が少し分かる写真が見れて良かったです。

    • @basilbasilicum
      @basilbasilicum 2 года назад +3

      運も能力のうちですよね。

  • @heiho_ita
    @heiho_ita 2 года назад +3

    人を頼ることもまた才能

  • @user-dw9zo4wr9b
    @user-dw9zo4wr9b 2 года назад +8

    いろんな意味で、画竜点睛を欠いた名君。能力、逸話、経歴。すべてほぼ名君の条件的なものは満たしてると思う。ただ残りの数%が暗君要素満載なのがねえ。

  • @---nt5tf
    @---nt5tf 2 года назад +4

    うろ覚えですが、独身で周囲の人から笑いもの(当時の価値観だと適齢過ぎて独身でいることは大変恥とされていた)のにされている老人を見た桓公が、夜も共にするものがいない老人が哀れで、管仲に相談したところ「ならば、我が斉の国では男は○○歳で、女は○○歳で絶対結婚しなければならないって法律にしましょう!そうすれば、そのように不憫なものが現れなくなります!」って、話好きです。
    法律で決めちゃうとか((;゚Д゚)ガクガクブルブル

  • @scipio99
    @scipio99 2 года назад +2

    管仲もニャンちゅうも好き。

  • @basilbasilicum
    @basilbasilicum 2 года назад +3

    8:22桓公より管仲の方が大きい画像で笑ってしまいました。

  • @user-wi6pu3lb9i
    @user-wi6pu3lb9i 2 года назад +4

    自分は桓公は名君だと思う。自分を暗殺しようとした人物を信じられるのはさすがにできない。管仲や人の言うことには素直だし、自分の失敗は認めるし。やらかしは人間的な人物だったと思う。あと孔子は割と合理的な思考を持ってると思うので管仲の評価は適切だと思う。

  • @user-rk4kf6sl4e
    @user-rk4kf6sl4e 2 года назад +2

    君主の一番の資質はやっぱ人材を用いることじゃないかなあ。ぶっちゃけ殆どの君主なんて家系がいいだけで君主にはなれるんだし。その辺理解してるかどうかはともかく気にくわなければいかようにでもできる立場で自分を律して行動する能力が重要そう。カンチュウだってカンコウの命狙ったけどそれは自分の主君の為に最善を尽くしただけでカンコウに恨みがある訳じゃないし。

  • @shigeoido7784
    @shigeoido7784 2 года назад +2

    桓公を思うに部下をどう思っていたか。使えるか役立つかではと。使えなければ捨てればいいと。徹底して自己中心の貴族かと。管仲とて自分を越えない役立つ部材と見ていたのでは。つまり自分に逆らわない自分の立場をあげる機械か奴隷と。だから管仲なきあとは料理人や宦官を使いたがった。だから死後放棄された。

  • @KOME1990
    @KOME1990 2 года назад +2

    家屋に税をかけたら皆が家屋を壊してしまうでしょうと管仲が言った。この時代から2700年以上先の未来において物を買ったりサービスを得たりするのに税がかけられる国があり。その国の為政者は経済が良くならないと嘆いていたと言う。

  • @qoamb410
    @qoamb410 2 года назад +3

    孔子は管仲を割と評価しているのに、桓公に言及している話しは聞かないですし、韓非子は桓公を非難しているし難しい状況ですね。(笑)私は好きですが…。「泰山は好悪を立てず、故によくその高きをなし、江海は小助を択ばず、故によくその富をなす。」なんて一節がある様に、器の大きい君主である事は間違いないのではないでしょうか。長文すみません。動画面白かったです。

    • @kenjih1408
      @kenjih1408 2 года назад +1

      韓非子や法家の思想は、中央集権・君主独裁による厳格主義ですからね。
      寛容で臣下に任せるスタイルの桓公とは水と油。

  • @ast260
    @ast260 2 года назад +3

    1:23 西周(にしあまね)大集合で草ぁ
    彼も偉人だけどね

  • @user-ef3nc4uw8d
    @user-ef3nc4uw8d 20 дней назад +1

    若い頃ポカしてたのにカンコウにあったら大活躍は運命感じる

  • @yumekaryuudo99
    @yumekaryuudo99 2 года назад +1

    人生で過ちをおかさないのは無理
    将を従える王は名将や名宰相を採用して
    十分に能力を発揮させること
    管仲の遺命に従って一度は追放もしてるしね
    別に本人が生きてるうちに大きな失敗したわけじゃないので名君ですね

  • @user-wb3qi2ew6l
    @user-wb3qi2ew6l 2 года назад +6

    他人の言うことがよく聞ける。劉邦もそうだよね。英明な君主の共通点かも 管仲の死後、おかしくなっていったのは、老害か?

  • @user-hi8px1oy7v
    @user-hi8px1oy7v Год назад +1

    大器を持った凡君というのは割とあってると思う。自分に敵対した管仲を仲間にし、その諫言をしっかり聞いたのは確かに大きな器を持っている。自分があまり前に出なかったのもいいところ。
    でも彼が讃えられ続けたのは確実に管仲とあまり変わらない時期に桓公が死んだからだと思う。部下を信じすぎる人が佞臣をはべらかすと大変なことになる。

  • @user-kr7nm3gh2l
    @user-kr7nm3gh2l 2 года назад +2

    Thanks!

    • @c-history
      @c-history  2 года назад

      ご支援まことにありがとうございます!!
      ご厚意、感謝感激でごりまする……!!

  • @鹿束菜伊
    @鹿束菜伊 Год назад

    『西周(にしあまね)時代』
    鳥人間さんのこういうピリッとした小技が好きです😊
    前の『牧野の戦い』を『マキノの戦い』と呼んだのも好きです😂

  • @アッガイ二等兵
    @アッガイ二等兵 2 года назад +1

    臣下の助言をよく聞くというのは良いことなんだろうが、名臣か、奸臣のどちらの話を聞いたかで評価は変わるね。どこかの国の総理も話をよく聞くと自称しているらしいが、果たして管仲はいるのだろうか・・・。

  • @ntatanohu1214
    @ntatanohu1214 2 года назад +1

    暗君なわけがない。怨を許し、讒言を聞きそれに従う。これこそ名君。
    それよりも、管仲が後継者を作れなかったのが残念。

  • @user-qm4lz1bz3s
    @user-qm4lz1bz3s 2 года назад +2

    野生の郭隗好き

  • @user-cg1dt5xj5o
    @user-cg1dt5xj5o 2 года назад +1

    側近に恵まれていたね、長く付き合うならばこういう感じが良いのかも知れませんね。

  • @yaekaki
    @yaekaki 7 месяцев назад +1

    ちょっとだけ人間味に富んだアルスラーン、というイメージですね。w

  • @naoyaa_jp
    @naoyaa_jp 2 года назад +1

    桓公は覇者であり、名君であると思うな。
    この後に出てくる漢の高祖劉邦と似たようなものだと思う。
    臣下に恵まれその話をよく聞き形は違えど天下に覇を唱えた桓公は晩年にこそミスが目立つがそれでも長い在位をもって国を収めているのが何よりの証拠だと思う。

  • @fx9374
    @fx9374 2 года назад +8

    名君と言えるかどうかは微妙ですが少なくとも暗君ではないと思います
    桓公とは比べ物にならないような暗君がいくらでもいるのでw